「大正時代の女学生」と聞くと、どんなイメージでしょうか?
「袴にブーツ履いてて、今とそんなに変わらないんじゃない?」
と思われる方もいるかもしれません。
この記事を読めば、当時の社会背景から女学生についてまで詳しくわかります。
また、当時の「百合」文化についてはかなり力を入れて解説しているので、
よろしければ最後までご覧下さい。
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女学生
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1.当時の学校制度
当時、義務教育は小学校の6年間だけでした。
中等教育からは任意で、高等小学校、中学校、実業学校、
そして、高等女学校に分類されました。
高校まで進学する人が多い現代とは異なり、小学校を卒業してそのまま就職、という人も多かったんです。
ちなみに、中学校に行く人はかなりのエリートでした。
2.具体的な女学生
「大正の女学生」と聞くと、袴姿にブーツを履いた「ハイカラ」な女学生を思い浮かべるでしょう。
これは、漫画「はいからさんが通る」のイメージが強いのが一因です。
もちろん、そういった女学生も多かったのは事実です。
しかし、震災後は「セーラー服」を制服として採用する学校が増えていました。
髪型はまだまだロングが当たり前、ショートヘアーにするだけで「あばずれ」と呼ばれる時代だったんです。
女学校の目的は「良妻賢母」の育成、帝国の「よき母」を育成する事でした。
その為、一般的な教科と言うよりは、裁縫、料理などの家事系の科目が多かったそうです。
「薙刀道」、「弓道」が授業の中にあるのも特徴の一つでしょう。
3.当時の女性の立ち位置と社会背景
当時、まだ男尊女卑が強く、「女性とは家庭を守るものだ」という考えが強かったんです。
「結婚して子供を産むのが一番の幸せに決まっている」と、何とも生きづらい時代でした。
そんな中、男女平等の社会を目指し活動した人がいます。
「平塚らいてふ」
中学校に進む人がエリートだった事は先述しましたが、なんと!平塚らいてふは、「大学」まで進学しています!
エリート中のエリートだったんですね。
「元始、女性は実に太陽であった…今、女性は月である。」
という言葉で始まった女性の為の雑誌、「青鞜(せいとう)」は当時の女性に大きな影響を与えました。
そんな彼女に影響を受けた女学生がいたかもしれません。
4.S文化
さて、話を女学生に戻しましょう。
当時の女学校には独自の文化として、「S文化」と呼ばれるものがありました。
これは「Sister」の頭文字から来る隠語で、血の繋がりの無い少女同士、あるいは女教師などとの情熱的な関係を表しています。
現代で言うところの「百合」文化です。
紅のリボンを送り、それを髪に結べば関係が成立する、と何ともロマンチックな告白方法でした。
しかし、そんな「S文化」にも問題があったんです。
女学生同士の心中が頻発しました。
なぜそのような事が起きたのか?
これは筆者の推測ですが、「この先の未来に絶望したから」ではないかと思います。
「男女が結婚し、子供を産むのが当たり前の世の中」で、「女学校という特異な環境」で、
「非社会的ではあるが、愛し合う事が出来る文化」がある状態で「卒業」を迎える。
卒業後は「男尊女卑の激しい世界」に戻る、「対等な恋愛」なんてものはなかった。
そんな未来が見えていて、ワクワクする人はいないでしょう?
「S文化」は少女たちの一時の夢だったのかもしれません。
(何を言ってるんだ私は)
歪んだ憧れが暴走し、対象を模倣、果てには同一化を願う女学生も居たそうです。
単に「恋愛」で括れないのが「S文化」の面白く、残酷な部分でしょう。
5.まとめ
いかがだったでしょうか?
大正時代の女学生について、少しでも参考になれば幸いです。
特に「S文化」は非常に興味深い文化で、多くの人を引きつけると思います。
是非、ご自身でも調べてみて下さい。
6.宣伝
そんな大正時代の女学生、「S文化」をメインテーマとしたクトゥルフ神話TRPGのシナリオ、
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興味をお持ちの方は是非ご覧下さい。
近々特設ページを作成する予定ですので、お楽しみに。
参考文献
1.坂本雅之ほか,クトゥルフと帝国,株式会社KADOKAWA,2014年 第7版
2.山本博文,日本の歴史(14)【電子特別版】,株式会社KADOKAWA,2016年